【ものすごく引っかかったこと。】
前回、“3回にわたる「まえがき」は、このへんにして……”と書いた。
が、また「ブログの自由と、われわれの不自由」の続きを書く。
というのも、興味深いトラックバックをもらったからだ。
茅須さんの「
ものすごく引っかかったこと。」という記事だ。
前回の
「ブログの自由と、われわれの不自由」を読んで、とても腹が立って反対意見を書いてくれたらしいんだけど。
今回は、それについて意見を闘わせたいと思う。
河合奈保子が「もう、けんかはやめて(いいかげんに本論に入れよ!)」と泣きながらすがりついてくる幻影が見えるけど、「喧嘩じゃないんだ、これは!」と蹴っ飛ばす俺の幻影も見えるので、やります。
でも、茅須さんの反論は、ぜんぜん反対意見には思えなかった。
ほとんど同じ方を向いている意見にしか読めなかった。
【本当に書きたいことがない人】
具体的に述べよう。
「本当に書きたいことがない人を擁護している」という誤解を、
ぼくの文章は与えてしまったようだ。
>あなたが擁護している人たちには本当に書きたい衝動があるんでしょうか、これを書かないと自分の中にたまってどうしようもなくなってしまう、それくらいの強い衝動があるんでしょうか、と。
>書けない人たちを擁護するほうが悪であるとも言える。
茅須さんが言っている「書けない人」というのは、「本当に書きたいことがない人」のことらしい。
でも、ぼくは「本当に書きたいことがない人」については、まったく触れていない(正直なところ、思い浮かんでもなかった。書きたいことがない人も、ブログってやりたいの!?)。
ぼくは
>「書きたいように書ける」などというのは妄想蒙昧浅知恵。
書きたいようには、書けやしない。書けるか、そんな簡単に!
いつまでたっても、書きたいようには、なかなか書けないのだ。だから書くのだ。
と前回、書いた。
ぼくが言っている「書きたいように書けない人」。
茅須さんが言っている「本当に書きたいことがないので書けない人」。
この二つは、まったく違う。
まったく違う「(書きたいように)書けない人」を「(書きたいことがないので)書けない人」にすり代えて、茅須さんは反論している。
「書きたいように書けない人」は、書きたいことが、ある。
書きたいことがなければ、「書きたいように」と考えもしない。
茅須さんが
>自分の気持ちを見つめれば書けないことなんてありません。箇条書きでも○○なことがあった、それに対して腹が立った、という程度のことなら書けると思う。
と書いている、まさにそのような人が、「書きたいように書けない人」だ。
何か書きたいことを、「という程度のことなら書けると思う」という程度にしか書けない人のことだ。
余計なお世話かもしれないという不安と、
誤解されるかもしれないという不安を押し止めて書くのだが、
(そして、反論をアップしてくれて、トラックバックしてくれた気持ちにリスペクトしながら書くのだが)
まさに茅須さんの文章が「書きたいように書けない」文章だ。
もちろん、それはぼくの勝手な妄想かもしれないし、
余計なお世話かもしれない。
でも、茅須さんは、だから書くのでしょう?
腹が立った気持ちについて考え、考えを整理し、それを文章にし、主観的すぎたと思ってそれを推敲し、まだ整理しきれてないけど、それを公表する。
そして、
>伝わる文章がちゃんとかけているかどうか一抹の不安を持っている
ぼくも、そうです。
ぼくも、「書きたいように書けない人」だ。
ケッって思われるかもしれないけど、
ぼくは、茅須さんにシンパシーを感じたのです。
だから、本論に入ると前回書いたにも関わらず、河合奈保子に「やめて」と懇願されたにもかかわらず、
予定を変更して、こうやって、茅須さんの文章について異論を述べているのです。
【こういうことがあるからブログは楽しい】
って書いた後で、「23mm_シホゴンパパのひとりごと」さんの
「「書く」ということについて」という文章を見つけました。
ちょっと長くなるけど引用させてください。
>「書きたいこと」が無いから、「書けない」という人もそりゃ存在するだろう。
でも「書きたいこと」があるのに、「どう書いたらいいのか分からなくて、書けない」という人も、やっぱり存在するのだ。
前者の人が「書ける」ようになるのは、難しそうだ。でも、何かがきっかけになって書きたいことが見つかれば、すぐに「書ける」ようになるかもしれない。(そういう人が形から入ったって、別にいいじゃない、と僕は思う。僕はね。)
後者の人は、切実に助けを必要としている(前者の人に比べれば)。そういう人のために、「ブログ文章術」があるのなら、それも良いことではないか。(いや、まだ分かりませんよ。これから、これから。)
あぁ。ぼくなんかより、ぼくが書きたいことを「書けている」のが、ぼくはちょっと悔しい。
でも、
こういうことがあるからブログは楽しい。
こういった対話を生み出すことが、ブログを楽しくさせる。
いままでの「外見だけを整える文章術」に代表される文章術さんでは間に合わない、としみじみと思う。
ぼくは、自分のことを「書きたいように書けない人」だと思っています。
だからなのかもしれないけれど、他のほとんどの人も「書きたいように書けない人」じゃないかと疑っているのです。
だから、いっしょに、そういった人と「書きたいように書ける」に近づけていければいいなと考えながら、この「ブログ文章術」を続けていきたいのです。
さぁ、次回は、きっと本論に突入です。
(河合奈保子が、ほんとうかしらん?と疑問符を投げかける幻影をかき消しながら)